公民館は文部省教育の流れのなかでの社会教育施設で、かつてはマジメな精神訓話とか公民館教育というのがあって、ちょっと堅苦しい感じがありました。
他方、コミュニティセンターは住民交流の場としてなにをやってもいいのです。
都市計画はまず市民がつくるこのコミュニティセンターを全国に広げてゆくしごとは、おもに自治省や農水省が担当してきました。
わたしも昭和四十四、五年ごろ、自治省のモデル・コミュニティセンターづくりに参加していました。
三鷹市の大沢コミュニティセンターをはじめ、全国で百か所ぐらいモデル・センターをつくり、それをもとに、各地の市役所や区役所がいっせいにコミュニティセンターをつくりはじめたのです。
コミュニティセンターは、まず地域の人が集まることに意味があります。
歌を歌うグループがある。
刺繍や俳句のグループもある。
放課後の子どもたちの遊び方に母親がどうかかわるか。
お年寄りの面倒をどう見ればいいのか。
そういった話がだんだん大きくなって、ボランティア型のグループができあがっていく。
それらのグループの意識が高まれば、議論は当然、街づくりにまで及んでゆきます。
たとえば、お年寄りを寝たきりにしないように車椅子で動かしたいと思うと、どうしても歩道が必要になる。
点検してみたら思ったよりも歩道が少ない。
自動車を一方通行にすればお年寄りも安心して歩けるのに、そうなっていないということもわかってくる。
幅四メートルぐらいの道路で両側がブロック塀というようなところでは、地震があった場合、歩行者がつぶされて死んでしまう。
子どもの非行防止という面から考えると、公園は、やはり明るくしておかなければいけない。
公園の維持管理をちゃんとして、便所がよくなければつくりなおす。
こういう話題が、結果として、街づくりにつながっていく。
都市計画課の役人をコミュニティセンターに呼ぶこともできます。
それまでみんなが具体的な問題について議論し、学習してきているから、そこに専門家が加わることによって非常に生産性の高い議論が成り立つ。
コミュニティセンターを中心とする女性たちの街づくりにかかわる発言がどんどん増えてきました。
また、それだからこそ、〈地区計画〉の重要性にも目が向けられるようになったのです。
コミュニティセンターに人が集まり、俳句やお花の文化サークルをやり、そこから地域を変えてゆくこころみがはじまる。
たんに道路をつくり、公園を広げれば、それでいいのか。
そうじゃないのです。
地域で子どもの面倒を見る、お年寄りを交通事故からまもる、ためにはどうしたらいいかという議論の結果として、「歩道が必要だ」とか「公園の便所を直さなければ」という話になっていく。
そんなところからも街づくりに参加することもできるのです。
このようにして、二十年後の都市の未来を描くいま「地方分権」ということがさかんに論じられています。
じつは地方分権と都市計画とは切っても切れない関係にあるのです。
現在のところ、都市計画は、国が「都市計画法」によって厳しくコントロールしています。
だが、これに対して、なんでもかんでも国が権限を独り占めするのはけしからん、県や市にも権限を渡すべきだという議論が起こってきた。
事実、すこしずつ実権が自治体に移され、〈地区計画〉や幅十六メートル以下の道路、二、三千坪の公園などについては、市や区に決定権を下ろすようになっています。
平成四年、この「都市計画法」が改正されました。
改正の目玉は〈都市のマスタープラン〉正確には法律用語です。
市民相互が徹底的に議論をして、市民主体の街づくり案をつくること。
それを市や区の都市計画審議会が認めて決定すれば、県庁にある都市計画の地方審議会でほとんど自動的に認めます。
それぞれの市町村に自分たちの街の〈マスタープラン〉をつくることを義務づけたわけですねこの場合、市民が〈マスタープラン〉として考える都市の姿は、現在、お役人が各都市で展開している土地利用計画や交通計画にピタッと整合しなくてもかまわないとしました。
たとえばM市という都市があるとします。
大学の隣接地にFという工場があるが、衆目の見るところ、この工場は遠からず市から出ていくだろうと思われている。
そこで市民たちが議論をして、土地の半分を公園にし、残り半分のところにゴミ処理場をつくりたいしと提案します。
ところが現在のM市の都市計画の図面では、F工場は「工業専用地域」か「工業地域」の用途地域に指定されていますから、公園や音楽ホールはつくれない。
ゴミ処理場の横に老人のための「憩いの家」をつくりたいと思ってもつくれない。
そういうしくみになっているのです。
それに対して、〈都市のマスタープラン〉は用途地域に関係なく、「どうぞみなさんでお好きな絵を描いてください」というものですから、市民自身が、地理というもので、ようするに、的な環境、歴史的な背景、文化や産業など、さまざまな特性を考えて、自分たちが責任をもちうる街の将来像を描くことができるこの〈マスタープラン〉が都市計画として認められると、やがてF工場の跡地が売りに出され、不動産会社や住宅都市整備公団が買ったとしても、公園、ゴミ処理場、老人のための「憩いの家」をつくることになっています。
どうしても住宅団地をつくりたいならば、この〈マスタープラン〉を尊重して設計してください」と要請できます。
そういう拘束力をもつのです。
なぜこの十年先の未来像なのかでは〈都市のマスタープラン〉はどのように考えてつくられるものなのか。
わたしが都市計画家としてかかわっている横須賀市を例に説明しましょう。
まず言っておかなければならないのは、〈都市のマスタープラン〉は二十年ぐらい先の将来像を目標にまとめてゆくという点です。
横須賀市でも、市民が二十年先、二〇一五年の都市将来像を議論してまとめていくということが、〈マスタープラン〉造りの目標になりました。
では十年先でも三十年先でもなく、なぜ二十年先なのか。
たとえば現在、渋谷のNHKの後ろを通って代田橋から吉祥寺まで行く井の頭通りが、用地買収で少しずつ広がっていっています。
全部広げるのに何年かかるかというと、だいたい二十年です。
十年ぐらいで土地の買収が終わり、道路が広がり、五、六年で造成して、あと五、六年でまわりに家が建っていく街がある程度、大きく姿を変えるまでに少なくとも二十年ぐらいはかかります。
十年先、道路や家のまわりの建物はこう変わるだろう、おそらく近くに公園ができるだろうというようなことは、常識の範囲でかなり想像がつきます。
ところが三十年先だとだれにも確実なことはいえませんから、個々人の好みの範囲で語ることになる。
つまり二十年先というのは、常識のぎりぎりの延長である十年と、まったく想像上のものである三十年との、ちょうど真ん中に当たるわけです。
都市計画家にとっては、専門家としての自分の能力と技術的蓄積によって街の変化を読み抜くことができる、まさに最長の時間なのです。
都市計画でニュータウンをつくるときも、ある程度の市街地ができるまでに十五年から二十年かかります。
東京・多摩ニュータウンの場合、スタートは昭和三十五年でした。
それから十五年たった昭和五十年ごろ、多摩センター駅周辺の環境がおおむねできあがった。
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